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「海浜ニュータウン」次の50年

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沿革と構想

1960年代前半、現在のJR京葉線「海浜幕張」駅から「稲毛海岸」駅に至る市街地一帯は海辺であった。かつての海岸線は国道14号線付近である。「磯の松原」と呼ばれた見事な松林の景観は「日本の白砂青松100選」に選ばれたほどで、今も「稲毛の松林(稲毛公園内)」にその名残を見ることができる。千葉市美浜区は、当時の風景を取り戻そうと1981年「いなげの浜」に6万本に及ぶ黒松の苗木を植えた。今では4mを超える高さにまで成長しているという。

海浜ニュータウンは、国道14号線から海に約2㎞、幕張から稲毛に約6㎞、面積にして約1,200haの埋立造成地である。幕張地区、検見川地区、稲毛地区の3つの地区で構成され、それぞれ地区中央付近にJR京葉線の駅「海浜幕張」「検見川浜」「稲毛海岸」を配している。

参考資料から

この開発は、昭和の高度経済成長期における都市人口急増に対応するための「首都圏整備法」(1956年)制定が起点である。無秩序な乱開発を防ぐため、同法改正(1965年)とともに千葉市が近郊整備地帯に指定(1966年5月)。その2か月前、友納県知事(当時)は定例県議会において「いわゆるベッドタウンのようなものだけに堕しない」と語ったという。

海浜ニュータウンの基本構想は、都市工学の井上孝氏(東京大学教授)の研究室が作成(1967年11月)。「井上レポート」と呼ばれる概要報告書の注目点は、東京都心へ直結する通勤住宅市街地を基本とするも、県内の雇用増加に伴い、広域的な自立都市地域の形成、つまり独立都市(衛星都市)への展開をも視野に入れている点にあった。これは、その後の「幕張地区」を副都心と位置付けたことや「稲毛地区」に商業施設を集積したこと、「検見川地区」には行政、大学等を誘致するなど地区ごとの役割を明確に分けた源泉になったものと思われる。

現在およそ2㎞間隔で所在するJR京葉線3駅は、当時は「1㎞間隔で6駅」だったそうだ。計画人口も30万人と、開発面積が倍近い「多摩ニュータウン」と同レベルで、さらに同等の開発面積にあたる「千里ニュータウン」の2倍の人口密度であった。その後、修正が繰り返され、現在の千葉市美浜区(海浜ニュータウン)人口は(最終1981年)計画通り、およそ15万人程度である。建設事業の精算は稲毛地区が1980年、検見川地区と幕張地区(は一部を残し)2001年に完了。ほぼ計画通りの進捗であった。

以下、トピックを書き出してみる。

1968年6月 「海浜ニュータウン基本計画」計画人口約24万人、3駅設置 
1969年2月 県と市で「稲毛地区造成事業委託協定書」締結 
1969年3月 稲毛地区の埋立造成工事着工 
1970年6月 開発庁が検見川・幕張地区「千葉海浜ユータウン基本構想」策定 
1972年3月 稲毛<高洲>地区入居開始 
1972年12月 ニュータウン内初の小中学校(市立高洲第一)開校 
1973年3月 検見川地区入居開始 
1973年6月 「京葉線旅客輸送推進対策協議会」設立 
同 「稲毛地区に海浜公園の設置」が計画に盛り込まれる 
1974年8月 検見川・幕張(一部)地区埋立造成工事竣工 
1974年10月 友納知事が2度目の早期旅客化の要望書を提出 
1976年5月 稲毛地区埋立造成工事竣工 
1978年9月 西船橋~蘇我間の旅客化決定 
1981年11月 「幕張海浜公園基本計画」策定 
1984年4月 稲毛海岸駅前に千葉市最大面積の商業施設「マリンピア」開業 
1986年3月 西船橋~千葉港が旅客化開業 
1987年4月 国鉄民営化 
1988年12月 新木場~南船橋間、千葉港~蘇我間開業 
1990年3月 東京~新木場間(全線)開業 
同 「千葉マリンスタジアム」オープン 
1991年10月 プロ野球「ロッテ」球団移転 

UPDATEの予兆

2000年に制定された「住宅の品質確保の促進等に関する法律」以後、急速に進んだ住宅の質は、「昭和時代に建てられた団地」への需要の減退を加速させたといえるだろう。エレベータがなく、デザインは画一的、気密性・断熱性に劣る。結露に悩まされ、消費エネルギーは「今どきの家」に比べると多い。もちろん少子高齢化現象も例に漏れない。海浜ニュータウン内では2011年4月以降、10の小学校と4つの中学校の統廃合が進んだ。

しかし、新たな展開もある。都心に近い人口の砂浜「幕張の浜」は、大型花火大会や飛行機レースにも活用。ロケーションと施設の希少性が「ここだから誘致できた」実績を作る。「(仮称)JFAナショナルフットボールセンター」プロジェクトも海外からの玄関口(成田・羽田)に好アクセスな立地だからと推察。天然芝ピッチ2面、人工芝ピッチ2面、クラブハウスやフットサルアリーナなどを整備できるのも、ニュータウンならではの「巨大な街区」構成だからこそ実現可能だ。繰り返しになるが、海辺のロケーション・都心への距離・広大な空間活用など海浜ニュータウンにおける幕張地区の特色を最大限引き出した利用促進が実現している。

単なるベッドタウンではなく、また、他のニュータウンとは一線を画する「海辺・浜」を抱える海浜ニュータウンならではの「地の利」は、これから新たな展開があるかもしれない。

検見川の浜(2018年12月撮影)

レガシーとしての街区形成

最後に、検見川地区特有の街づくりについて解説しておきたい。商業色の強い稲毛地区、副都心機能を期待された幕張地区に対し、検見川地区は「住宅と行政の街」である。「検見川浜」駅の北側には、一直線に「地区サービスセンター」「美浜区役所」「美浜郵便局」「美浜消防署」「千葉市美浜文化ホール」「中央公園」と公共施設が連なっている。しかも、車道から独立した幅員の広い歩道が動線となっているのだが、この構造がじつに面白い。

資料から引用すると「この歩行者専用路は、150m×800mの敷地を縦断して幅10m~30mで突き貫けている。これは赤レンガのペーブスラブを敷きつめてあるが、このペーブスラブは、埋立特有の不等沈下を防ぐため杭を打った基礎の上に支持されている。(略)基礎と地盤の間の部分には、センターの建物の共通の配管が通っている」さらに「日本もようやく欧米並みの歩行者路ができることとなろう。(略)休日に新宿や銀座で<歩行者天国>というのが開催されているが、ここではそれが理想的に実現されるという点で、正に<歩行者天国の天国>といえるものになる」他にも地域冷暖房を前提とした設備やそれによる「煙突や電柱のない街」を可能にするなどその先進性には圧倒される。資料は「これら<歩行者専用路><緑の並木路><乗り換えが快適にできる駅前広場>等は、目玉商品として地区外からも多くの人々を引きつけるであろう」として、設計主旨を結んでいる。

五輪誘致依頼、「レガシー」という言葉を耳にする機会が増えた。後世に残す遺産、偉業のような意味合いなのだそうだ。海浜ニュータウンは、副都心としての機能、「人口浜」にこだわった海浜の空間活用が目立った成果を上げているように思えるが、これからは住居機能が注目されるのではないかとみている。

ポイントは街区形成だ。幅員の広さ、中心に渋滞が起こらない迂回路の設計、徹底した歩車分離など。すぐそこまできている5G(ファイブジー)による「自動運転の普及」は、海浜ニュータウンのなかでもとくに検見川地区にその利便の恩恵を受けやすいとみる。フラットな地形をいかした公共自転車のシェアリングなども相性が良いだろう。次の50年、海浜ニュータウンのモデルケースとなるような住宅街の再生「賑わいの復活」を期待したい。

真砂くすのき通り(2009年8月撮影)
真砂くすのき通り(2009年8月撮影)

<参考資料>
「千葉県企業庁事業の軌跡」(千葉県企業庁/2017.3)
「稲毛海浜ニュータウン土地利用基本設計報告書」(千葉市臨海開発課/1968.12)
「海浜ニュータウン検見川地区■地区センター 基本設計報告書」(大高建築設計事務所)
「千葉県美浜区」公式サイト


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